所詮はブログなんて自分なりの吐きだし口なんだから更新頻度なんか気にするな - 適宜覚書-Fragments

所詮はブログなんて自分なりの吐きだし口なんだから更新頻度なんか気にするな

   

毎度毎度心に響くネタだしをされる、けいろーさんですがまたも素敵なお題ですね。毎日更新する?しない?自分にとっての「ブログ」の立ち位置とは - ぐるりみち。ブログを書く人なら一回ならず何回も悩む「はまり道」ならぬ「はまりどころ」の一つがこれ。

これに悩み始めるとぐるぐる頭の中で駆け回る。重症になると止せばいいのに色々書かない理由やら書けない言い訳やらをだらだらとめどなく垂れ流したりする。そうなると自縄自縛になってついには書くこと自体が嫌になってしまったりする。

先に自分の立ち位置を明確にしておく。んなことどうでもいいんだよ。別に毎日更新しようが、一年に一回だろうが好きにすればいい。所詮はブログなんて自分なりの吐きだし口なんだから更新頻度なんか気にするな。以降になんでそういう結論に至ったかを書き連ねてみよう。

自分は二年間更新休んだけど、別にどうってことなかった

まず、実例としてこのブログなんだけど、二年間更新を休んでいた。その間別に死んでいた訳でも眠っていた訳でもなく、それなりに楽しく普通に生きてきた。別にブログを休んでいたからって何か重大なことが起きる訳じゃない。ブログ以外のあれやこれやに時間を割いたところで、ブログで生計を立てざるを得ない立場で無い限りは何の痛痒も無い。

読者が困る?そんなことはない。世の中には腐るほど沢山の面白いブログがあるのだ。こっちが駄目ならあっちがあるさ。幾らだって好きなものを探してうろうろしたりするのはWebユーザの常だ。そりゃ一時的には残念と思うかもしれないけれど、読者の心配をする必要なんて無い。余計なお世話というものだ。

それに読者という方々を舐めてはいけない。実は自分も認識が甘かった。二年間も休んでいれば再開しようが誰も気が付かないだろうと高をくくっていた。しかし、再開して瞬時に反応してきた方々が複数いらっしゃる。RSSリーダやTwitterのFollowを外さずに保持していて、再開を喜んでくださった。御見それしました、というか自分の浅慮を恥じ入った。

これは熱心な読者がついてくれていることの自慢では無い。最初に書いた通り、更新期間が長かろうが短かろうが、悩むようなことは何もないという補足だ。

あなたはそもそもブログ何のために書いているの?

けいろーさんもこの点は指摘しているね。あなたはそもそもブログ何のために書いているの?「あなたは」っていうところ凄く重要だよ。他の誰かのモチベーションを知っても仕方ない。それは単なる知識に過ぎない。

ブログというのは自転車みたいなものだ。ペダルをこいでいれば前に進む。慣れてきて、気分が乗ってくればこがなくたって前に進む。だけど、惰性で進み続くことは無い。やっぱりある程度はこがないと倒れてしまう。ペダルをこぐにはカロリーや水が必要なように、ブログを書き続けるには書きたいものが自分の中にある必要がある。

この書きたいものというのは元々自分の中にある場合もあるし、外から刺激を受けてそれを取り入れる経過で生まれる場合もある。いずれにせよ、書きたいものというのは必ず自分の中を通して出てくる。つまり、インプット(摂取)ないしは生成して、その結果をアウトプットして吐き出す。だから、その生成物には必ず自分なりの消化結果が含まれる。

従って、ブログを書くということには何かしらの自分なりの動因が必要なのだ。それが無いなら休めばいい。別にインプットが常にネタであるとは限らないし、アウトプットをブログで行う必要は無い。生きていれば何かしらの形でインプットとアウトプットを繰り返すことになる。

それをどう繋ぐかなんて個人の裁量の問題であって、わざわざ自分からブログに出すと決めつけて自分の首を絞めるなんてバカバカしい。そういうこと自体を楽しむ趣味があるなら別だけれど、わざわざ開陳して見せつけるなんて趣味が悪いしお勧めできない。

自然に自分なりの書く状況が整ったら書けばいいんだよ。それ以上でもそれ以下でもない。

モチベーションとか気取ったこと書いたけど、要はネタ、勢い、衝動

書くためのモチベーションは人それぞれ。モチベーションって横文字なんとなく使ったけど、我ながら気取ってる。要はネタとか書きたいって勢いとか衝動とかそういうものがあれば自然に描きたくなる。

自分の中にそういう衝動があるなら幸い、思いのままに書き散らすといい。そういうのが一番気持ちいい。排泄欲と同じで我慢することなく出物腫物ところ構わずで解き放てばいい。こういうときは書くべきか書かざるべきかなんて余計なことを考える余地は無い。

衝動が無いときは別に書かなくて構わない。どうしても書きたいなら、外部から燃料とか燃える触媒を取り入れればいい。つまり、ネタだ。それが無いから悩んでるんじゃないかって?さっきから何度も書いているけどそんなことで悩むのは愚の骨頂だ。書かなくたってどうってことは無い。無理して探したってつまんないものしか書けない。

上手く続けている人はその切り分けがしっかりしているし、そうならないような仕組みを構築している。仕組み…そうけいろーさんも書いていて「そうだよねー確かにねー」と強く首肯した点がここだ。

毎日更新する?しない?自分にとっての「ブログ」の立ち位置とは - ぐるりみち。より引用:

ブログを続けていると、たとえノンジャンルで雑多な内容だとしても、それぞれの記事に何らかの共通点や関連性、あるいは「型」のようなものができてくるように思います。その「型」は、人によって異なるでしょうが。

何度も書いていると自分なりに好みとか自分なりの味がついてくる。自分の中を通してこそブログたりえるのだから当然だ。その方法をある程度パターン化出来るとそれなりにネタを見つけて消化して吐き出すまでの一連のプロセスが楽になってくる。

それもあんまり高尚なことを考えないで、身の丈をよく考えること。背伸びしても無理がたたるし、自分にとって興味のないことを書いたり他人の真似をしたって長続きしない。自分なりのネタ出し、自分なりの消化結果や消化途中の何かを吐き出してれば、見栄えはともかくアウトプットとしては十分だろう。

例えばTwitterでつぶやいて140文字を超えるなら…

こう長々書いてきても抽象的でピンとこないという向きもあるだろうから、ネタ探しの一例を挙げよう。

例えば、Twitterでつぶやいていて一回のつぶやきで収まらないことがある。仕方がないから(続く)(承前)と書いて繋げたり、つぶやきにナンバリングしたりして書いたりする。それってどうしても140文字を超えて書きたいことがあるからそうしてしまうのだろう。

そのつぶやきを引用で再録してブログに書いたらどうだろう?ただつぶやきを転記するだけなら大した手間ではない筈だ。そうやって転記をしていると多分気になることが出てくる。Twitterだと文字数制約があるから書くのを我慢していた行間の思いや補足情報を付け加えたくなるのだ。それを付け加えてみるともうそれだけで立派な文章の出来上がりだ。

もし、追加したい内容が無いなら既につぶやきで完璧な出来なのだろう。その場合は無理して補足などする必要は無い。それこそ蛇足というものだ。

Twitterだと一旦流れてしまった内容を後々見直すなどつぶやいた自分でもなかなかしない。その場限りの書き捨てだ。でも、Twitterのつぶやきの枠を超えて書くような内容なら凄く勿体ない。暇を持て余した真面目なFollowerでもわざわざ長ったらしい連続つぶやきを追いかけて意味を汲み取るなんて極力したくないだろう。

伝えたい内容があるのにちゃんと伝えられない方法で我慢しなくてもブログならいくらだってひとかたまりの文章として纏め、校正し、後々読みやすい形にすることが出来る。それもその気になったときの勢いに任せたつぶやき衝動を二次利用するだけだ。お手軽だろう。

結論を最初に書いたので締めが思いつかないが

とにかく気楽にやろうって、たかがブログなんだし。こう書いてしまうとブログ命の人には面白くないだろうけれど、自分で自分の首絞めてもいいことなんか無いよ。普段生きてる中での上澄みを一匙二匙掬ったものでそれなりに形になれば、それで十分だろう。

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