情熱を信じて生きたいと思わせる魂に沁み渡る一冊「情熱の伝え方」

      2014/08/14

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情熱大陸」の第五代プロデューサーの福岡元啓さんの「情熱の伝え方」を読んだ。

 情熱の伝え方

「情熱大陸」は16年続く毎日放送(TBS系)の看板ドキュメンタリ番組だ。恥ずかしながら自分はこれまで一回も見たことが無かったけれど(多分希少種です)、それでも番組名ぐらいは知っている。その時の旬な人や組織に密着取材して、普通の報道では知られざる側面を切り出し感動と共感を与える…ざっくりそんなイメージだ。

そんな屋台骨の一つを若くして背負う番組のプロデューサーだから暑苦しいくらい情熱的な体育会系で、魅力的な人で、会社に入るなりエリート街道まっしぐらで、お手製哲学を語りまくる本かなあと思いつつ読み始めた。

しかし、その後すぐ、自分の浅さを思い知らされることになる。それも完膚無きまでに…。

全然違った、何この挫折っぷり!?

まず福岡さんは会社に入る段階から挫折している。氷河期世代の中でも冷え込み真っ盛りの頃、毎日放送の就職試験は一次で即落ち、お祈りコース。他のマスコミ各社でも落とされまくる。ダメ元で受けた毎日放送の追加募集で何故か合格を勝ち取る。

入社早々テレビではなくラジオに配属され、行った先では東大空手部出身武闘派の名物ディレクタが上司となり、やることなすこと駄目出しされまくり、謝れば「謝り方が気に食わん、俺の前から消えろ!」とどなられ、後ろを通れば「俺の後ろを通るな」愛想笑いをすると「人の顔見て笑うな」、要領が悪くて仕事が遅いとネーブルをぶつけられたり、パソコンごと書類を投げ出され破壊されたり、道であったら回し蹴りを喰らったり…。聞けば聞くほどパワハラそのものを受ける日々を送る。

ラジオの東京支社ではこれまた凄い先輩に振り回される。深夜放送の仕事が終わった3時から昼まで買い物やら食事やらカラオケやらに連れまわされ、寝る間もなく翌日の仕事に突入。これはパワハラとは言えないものの、昭和臭の濃い可愛がりぶりで今時の若い人がよくまあ耐えられたものだというエピソードだった。

そのあと報道を経て、入社10年目に制作会社に出向する。流石に紐付きだったけれど、行った先の番組が一年で二つ打ち切りとなり、本社に戻るも窓際状態となる。これがもし自分なら心が折れること折り紙付きの逆境っぷりである。

その失うものが無い、追い詰められた状況で福岡氏は、死刑をゴールデン帯で扱う企画を通し、自分のやりたい企画を通すということを学ぶ。そして、「情熱大陸」のプロデューサーとしてアサインされる。ここに物凄い断絶というかギャップがあるのだけれど、そこはその判断をした人たちしか分からない。しかし、福岡氏はそういう運も巡り会わせもあり、そして本人は否定される筈だが相応以上のキャリアを積んでいたということだろう。

とにかく真っ直ぐに安全な場所にいて甘えさせてもらった人ではない。むしろ何故彼が…と本人も周囲も思うような挫折と成長を繰り返して、「情熱大陸」の第五代プロデューサーは生まれた。

根暗で執着心が強く気持ち悪いくらい必死な人

とんでもなく失礼な表現だと思う。しかし、これは福岡氏自身がそう自称し続けている。最後の気持ち悪いくらいは自分が付け加えたのだけれど、これは最上級の褒め言葉であり、尊敬しているからこそ出た表現だ。

先に書いたように福岡氏は決して期待されていた人ではない。酷い言い方をするなら捨て駒、かませ犬的な位置づけであったろうし、自分がそうであろうことも自覚していた。それでも、今自分がいる場所で自分が出来ることは何か、自分が行いたいことは何か、何を求められているかを必死に、それこそ気持ち悪いくらい必死に悩み苦しみ、考え抜き、実行してきた人でもある。

その経緯でクネクネと身を捩じらせていようが、そんなことは関係ない。どんな苦境に置いても逃げず自分の持ちうる全てを以て身を投じた現場、現物、現実に対していく、執着していく姿勢はまさに情熱のなしうるものだろう。

それは冒頭に書いたような分かりやすいものではないし、そんな生ぬるいものではない。本物の情熱というのは苦境にあろうと事物から逃げず、全身全霊で対する心の在り方だ。そして、その心の在り方を仕事の結果として映し出すに十分なキャリアを示したから福岡氏の今がある。それは決して見栄えの良い綺麗なものではないけれど、そもそも情熱とは綺麗なものではなくかっこ悪くもがくところにこそあるのだろう。

「情熱大陸」という番組も心を打つ人間の必死なもがきを映し出す

貴乃花親方のコメントに次のようなくだりがある。

放送後、番組を見た方に、「相撲協会の答えにくい質問に対して、窮している姿を見ているだけで、いまの親方の状況が伝わった」と言われました。情熱大陸は、その人が見せたくなかったところをあぶり出していく、そこがいいんだと思います。綺麗すぎないところがいい。

なるほどな、と実感した。ここは誤解しないで欲しい。露悪的であれという意味ではない。前に進むためには必ず乗り越えなければいけない壁や今までの膿みを出すプロセスが必要となる。そこを抜きに綺麗な結果だけを取り出しても、流れが見えてこない。人としての共感が生み出されない。そういった意味でもがく姿は尊くも見苦しくもあるが、直視しなければならない。

この本を読んですぐに初めて「情熱大陸」を視聴した。8/10(日)の23:00からの30分、「アナと雪の女王」エンドソング版を歌う歌手のMay J.への密着取材だった。

圧倒的な歌唱力を持ちながらも、オリジナル曲が売れない。下積みが長く、クラブでのライブも大量にこなし、バラエティ番組のカラオケで他人の歌を歌い続けた。「アナと雪の女王」でも松たか子との知名度の違いや劇中曲との位置づけの違いが一般に理解されない苦悩、そして生来持つ明るく表裏の無い魅力的な素顔が番組中で照らし出されていた。

『アナ雪』「なぜエンドソングはMay J.が歌ってるの?」の声に本人ショック - Ameba News [アメーバニュース]より引用:

そして、「そういう仕組みなんだけどな。全世界で必ず、劇中歌とエンドソングっていうのはアレンジが違う。そして歌っている人も違うっていう共通があるんだけれど」と説明し、「それを理解されていないのがすごく残念」とコメント。「それでも自分が日本版の主題歌を担当させていただいているし、しっかりとその責任感を持っていい歌を歌い続けるしかないんですよね。人になんと言われようと」と決意を語った。

たった30分の番組なのに、濃厚さは比類ない。単に彼女のこれまでと今を映し出すに留まらず、今後をどうしていこうとしているか、そのためにどうしているか。必死にもがきつつも一歩踏み出そうとするその姿勢がはっきりと見える。

自分もまた凡人未満の人間だ。福岡さんのような耐久性も無く、謙虚さも無く、経験も決して広くは無い。ないない尽くしだ。しかし、それでもこの本には勇気づけられるものがある。自信が無く能力が無いから出来ないではなく、それ自体が強みとなる。不安だからこそ求める力が生まれる。

どんなに優秀でどんなに先端的でどんなに唯一無二の才能を褒め称えられていようと、人間はその個人個人においてもがき苦しみつつ自分にとっての課題に前向きであらんとすることにこそ価値がある。その一点において人に差などない。その場その場において自分に足らないものに気づき、学び、或いは助け合いながら先へ進む。約束された栄光の未来や堅実なる幸福など無くたって、希望を生むことは誰にだって出来る。

確かにこの本は自分に情熱を伝えてくれた。それは予想外の手順だったけれど、心に、魂に沁み渡るものだった。

その他覚書

本の中で気になった部分の覚書きです。引用が多いのですが、自分の消化した内容を混ぜており、完全に自分用です。補足説明は面倒なのでしません。

  •  逆風を喰らった福岡さんは若手の足を引っ張る組織が悪いと愚痴を言うが、空手の上司田中氏はこう話してくれる「お前、まだ子どもやな。新しいことをしようと思ったら風が吹くのは当たり前。その風を、向かい風と思うか、心地良いそよ風と思うかは自分次第や」
  • 期間が短いからといって番組の質が落ちるわけでは無い。素材には旬があり、物事には取り掛かるべきタイミングがある。重要なのはデッドラインを決めてそこまでの最善の方法を探ること。セカンドベスト(最善ではないがその次の良策を目指すこと)を選択し、常に自分にとっての前に進むべく目標を設定し実行する。
  • 判断は即行い具体的にすること。曖昧ないつかなんかではなく、イエスかノーかを明確にすぐ返し、その場で処理をすること。相手に対しても時間を取らせずお互いにとって前向きな結果をもたらし、本気さがはっきりと伝わる。
  • お化粧しまくったプレゼン資料を作るのではなく、一行でも絵に見える伝わる企画が使える企画になる。新聞などでもそうだが見出しで全てが伝わるよう魂を籠めて練るもので、グダグダ長いだけだったり、竜頭蛇尾では話にならない。これはどの仕事でもそうだし、普段の生活においても同じ。
  • くまモン誕生は実はクライアント要求ではなく水野学氏が勝手によかれと思って創造したものだった。彼は常に相手のことを見つめ、「いまより良くなってもらいたい」と考え、課題を解決するために提案し続ける。ほとんどの場合クライアントの想像を超え、要求を超える。それを疎んじる客も確かにいるが、こんなこともできる、あんなこともできると惜しまず相手のためにとことんやるって、単に凄いだけじゃなくてとっても面白いことなんだろうと思う。
    • 仕事の枠を決めたりセクショナリズムで小さく固まって出し惜しみをする人も少なくないし、身を守らざるを得ない人もいる。それゆえのたらい回しもある。だけど、それって結局つまらない結果になる。自分で自分の出来ることを狭めて、どんどん駄目になっていく。マッチョになれっていう話じゃなくって、せっかくだから面白くやるために必死になる方向にシフトした方が皆が幸せになる。
  • リスクを恐れるよりわくわく感を信じる。一番恐ろしいのはリスクより「何もしない」こと
  • 何か問われた時にちゃんと明確に答えられることが大事。完璧な正答なんて要らない。必死に今出来る範囲で真摯に対すること。そして、いつでもその覚悟をもつこと。
  • 相手のメリットを考えて行動すること。こう書くと清廉潔白たらんとする人はいやらしいと思うだろうけれど、その反応の方が遥かにいやらしい。コントリビューション出来ること、協力できることはどんなことがあるか、今の手持ちの情報や能力が相手にとってどれだけ役に立てるかを必死に考え、それを分かりやすく提案し、実行するのはお互いにとって前向きなことで出し惜しみするようなことではない。

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