「それがなしでは生きていけない」を皆が自覚的に正す未来を目指したい

   

old-1130741_640

昔からDrug Intoxication或いはDrug Poisoning、薬物依存というのは社会問題の一つとして常にニュースの一角として挙げられ続けてきた。薬物と言えば、勝新太郎はハワイのホノルル空港で、下着の中にマリファナを隠し持っていたという容疑で捕まり「今後は同様の事件を起こさないよう、もうパンツをはかないようにする」と迷言を残し、最近のAska容疑者は妻が「お願いだから、もうクスリはやめて」と泣いて懇願する度に激昂して手を挙げたと聞く。

自分にとって薬物依存をあくまでマスコミが報じる別世界の話で、厚生労働省が発表している国民の生涯薬物経験率1.5%というのですら多い感じはする。しかし、一方ではここ数ヶ月降ってわいたように危険ドラッグを摂取して自動車を暴走させ無辜の人たちが死傷する痛ましい事件が多発した。安くて手軽に入手可能だったそれは、日頃のストレス解消という甘言を弄して売られ、それにうかうかと乗せられた挙句、依存して溺れ結局自分が身を持ち崩し家族も無関係の人も巻き込んで不幸を拡大再生産している。

さて、ここで表題に戻ろう。別に覚醒剤や麻薬の話が主ではないのだ。

これがなしでは生きられないが多すぎる

ここは扶養の国、日本 85年は女性の「分断元年」かという朝日新聞の記事を読んで連想した言葉がこれだった。この記事は女が生きる、男が生きるという連載特集記事の一つ。詳細は実際に目を通して頂きたい。非常によく現実に踏み込んだ内容で、今そこにある問題を上手く切り出し、我々今を生きる人間の多くに「このままではまずい。どうにかしないと!」という思いを喚起させる良記事だ。

ここは扶養の国、日本 85年は女性の「分断元年」か:朝日新聞デジタルより引用:

 職場の男女平等を目指す男女雇用機会均等法が成立した1985年。同じ年、夫に扶養される主婦を優遇する年金の第3号被保険者制度と、不安定な働き方を広げるきっかけになった労働者派遣法も誕生した。

 社会に進出し、キャリアを積んで高い地位に就く女性が現れるようになった一方で、家事や育児、介護を担う多くの女性たちは結婚後、「扶養の国」へと引き込まれる。結果、経済的に不安定な場所から抜け出せなくなることもある。

 「85年は、分断元年」

 そう呼ぶ人もいる。

これは確かにそうだろう、皆が分かっていたことだ、と思う一方で逆にこの問題の容易ならざる状況に絶望的になってくらくらしながら思い浮かべた言葉が「これがなしでは生きていけないが多すぎる」だ。

不謹慎を覚悟で申し上げるが、扶養の国の構造は薬物依存と大差が無い。それも国家的に作り上げてしまったシステムなので、その影響範囲は比較にならない。一旦扶養の国という流れに乗ってしまうと確かに楽で生きやすい一方でそこから外れた途端に貧困をはじめとする生きるのが辛くなる煉獄に身を置くしかない。

中毒症状なら隔離して中毒の元を排除すれば良いかと言えば、解決はそう簡単ではない

薬物中毒の場合、本人も危険だが周囲も危険だ。幻覚や被害妄想などで深刻な加害行動を起こしたりしかねないし、そこをHUBに周囲の人間に更なる拡販活動に結び付いたりもする。解決法として薬からも社会からも隔絶させ、中毒の元を排除するというのが常道と思う。では、扶養の国問題も同じく、現在の扶養体制をぶっ壊し専業主婦はすべからく仕事ををすべし、制度こそ分断の全ての元凶であるというのが正しい道なのだろうか?

いや、そんな簡単なことではない。現在の扶養体制は記事にあるように多くの特典が存在し、それを前提とした生涯計画を立てるよう周辺環境が整えられている。それに乗っていた人たちに対して、「今までの制度がおかし過ぎたのです。今この瞬間から特典は無しにして、皆働きましょう!」で話が進むと思う方がおめでたい。

そんなことをしても今ある制度に乗れない状況の人の溜飲を下げ、表向きのガス抜きを行い、潜在労働人口を確保したという実績を誇りたいだけの与党の片棒を担ぐだけの空しい結果しか得られないだろう。

間違えたことを正す必要は確かにあるが、それには対案の提案と実行が必要

間違えていたことを正す必要は確かにある。それは間違いない。この国に生きる人が瑕疵も無く不幸で生きることが辛くなる現状を甘んじなければいけないなんてあってはならない。かといって、改革には血が流れるものだと決めつけ、後先考えずに現状を破壊するというのも同等以上に愚劣なことだと思う。

あるべきは今をただ壊すだけではなく代替の多くの人をカバーした幸せになる仕組みを、生きやすい環境を提案することだろう。それを現実の物とせねばこの酷い現実には解決の糸口は無い。それをするのは誰かと言えば、困っている人たちであり、その困った状況を認識している全ての人たちであり、今扶養の国の恩恵に漬かっている全ての家族たち、要は国民全部の課題であり責務だろう。

はっきり言って政治家はこの問題については部外者なのだ。彼らは、それこそ薬物中毒を報道の中で見る別世界の珍事を見る目をもって、扶養の国の現状を眺めている。彼らに依存したままでいるならば、そこには差し迫っている危機は共有されていないにも関わらず、行政を意のままに操って世界の形を変えてしまいかねない。決めるのはその結果を受け止めなければならない国民であって彼らはその執行者に過ぎない。

ここでも「それがなしでは生きていけない」が根強く隠然と存在している。意識的に政治が無いなら生きられないと思う人は殆どいないだろうけれど、いちいち法律や社会問題の解決をするのは面倒だから政治家に任せてしまえというのが現在の代議士の受容のされ方だ。確かに我々は今を生きるのに忙しく、それだけで青息吐息だ。

しかし、だからといってなんでもかんでも「それがなしでは生きられない」と預けてしまっている状態に改善の余地を個々に見つけるべき状況が今ここにあるのだろうと強く思う。「それがなしでは生きていけない」を皆が自覚的に正す未来を目指したい。自分も考えて行動したい。だけど、大した力も頭も無い。だから、そう思い行動する人が増えていってほしい。

適宜覚書-Fragmentsは、筆者が興味をもった様々な情報やネタを筆者が忘れても後で思い出せるよう覚書として公開するBlogです。Google Chrome拡張、Facebook、Google、Twitter、Windows、各種Webアプリなどを扱うことが多いです。この覚書が、もし何かお役立ちになれば幸いです。

 - 覚書