今そこにある貧困を直視し認識すること

   

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前もって申し上げる。以下に自分が書く記事は結論が不明瞭です。でも、覚書として今の心持ちを残したかったので書きました。明快で楽しいものではありません。それはタイトルからも分かるでしょうけれど、先にお伝えしておきます。

シングルマザー、追い詰められて 今そこにある貧困という朝日新聞の記事を読んだ。残念ながら朝日新聞は購読するか有料会員じゃないと自由に読めないけど、無料会員でも3記事までは読めるから是非目を通してほしい。連載の一回目だが、頑張って踏み込んだものになりそう。

貧困といってもすぐにピンと感じない程度には恵まれた生き方を自分はしている。別にお金が有り余っているお金持ちではない。欲しいものがあっても買うまでに色々と算段をつけ、取捨選択の挙句、やっぱり買わない…とか、旅行なんてここ5年くらいはしたことも無い。でも、衣食住には不自由していないし、そこそこ家族と日々を楽しんでいる。だからだろうか、貧困というとどうしても実感としては近くに無い。

勿論、この先行き分からない今時職を失えばすぐにでもそうなるという恐怖は常にあるのだけれど、わざと心を逃避させては直視しないようにしているものの代表格が貧困だ。

シングルマザーになるということ

色々な事情があると思う。家族として、連れ合いとして一緒にいることが出来なくなってしまうには相応の理由がある。だから、そうなってしまったら、その状況に合わせて生活を組み立てなければいけない。

だけど、そうはいっても簡単なことじゃない。記事にある例では別れた夫からの養育費が殆どの場合受け取れない。裁判所を通して法的に資産配分や以降の負担を明確にした訳ではなく、協議離婚となると取り決めがなされないことが多いそうだ。恐らく取り決めがあっても、家族として共に生きない相手にお金を支払い続けることはなかなかなされない。

日本では新卒で会社勤めを始めるのが事実上唯一会社の入り口が開かれる。少なくとも一旦仕事を辞めて、家に入った女性にとって門戸は閉まっているに等しい。もし、運よく派遣やアルバイトの口を見つけたとしても夫に収入を頼っていた際とは比較にならない収入減であり、それは母子の生活に直接かかってくる。少しでも収入を得るためには時間を多く多種の仕事を掛け持ちしたり、水商売のように時間単価の高いけれど心身を痛める仕事を選択することになる。

それに母親一人の状態で仕事をするということは、子どもは自分で自分の世話をみるか、それが出来ないなら誰かに世話をみてもらうことになる。他人に子どもを預けるにはお金も少なからず必要だし、不安も大きい。結果、シングルマザーは貧困の中お金の工面に必死になり、その一方で子どもとの時間を穏やかに過ごすことも出来ず抜け出すことの出来ない苦しみの中で生きることになる。

父が稼ぎ母が家を守るロールモデルによる最適化

記事中、父が収入を得て母が家を守るロールモデルが隠然とシングルマザーの生き方を苦しくしているといった表現があった。理解は出来るけれど、この書き方ではそのロールモデル自身が彼女たちを侵害していると責めているようで、正直不愉快だった。別にそういった昔ながらの生き方が悪いわけではないし、その方が生きやすいのだからそう選択出来る限りにおいてそれに乗ることを一方的に責められる謂れは無い。

恐らく記事がここで表現したかった本意はそうではない。そのロールモデルに最適化し、それ以外の家族の在り方に一切配慮せず、貧困にあえぐシングルマザーの現実に何のサポートもないことへの怒りであり、悲しみであり、なんとかできないかという願いだと思う。

昔ながらのロールモデルは健在でそこそこの数がある一方で、それ以外の生き方が様々な局面で切り捨てられている。直視し認識することが負担であるから、あたかも存在しないもののように、関係ない別世界のように隔絶されている。それを間違えていると言っているのだろう。

何か出来ることはあるのだろうか?

記事を読んだ自分も少なからず自分の不明を恥じるところがある。ただ、そう強く思う一方で何か出来ることがあるのだろうか…という改善のアクションが全く思いつかない。

一番単純明快な解決策の一つはお金を与えることだ。貧困で苦しむ人を救う人への直接的な救助法はこれ以外は無い。しかし、そうは言ってもお金を見ず知らずの人たちに無尽蔵に渡すほど自分も余裕は無い。冒頭に書いた通り、生活には困ってはいないけれど余っている訳では無い。贅沢もしていなければ、娯楽にお金を回せる状況でもなく、先行きなんて分からない。そうなるとどこか他の人にお金を渡すという選択肢は出てこない。無い袖は振れない。それはきっと世の中の多くの人たちも多分そうだ。

では、自分以外のどこかからお金が湧いて出てくるかと言えば、それも無い。行政のサービスは結局のところ、税金を財源としそれをいかに振り分けるかという仕組みだ。財源を増やさない限りはあるサービスに振れば、他のサービスは退行する。多かれ少なかれそのサービスに拠って立つなら、退行は損失になる。それを良しと出来るかと言えば、非常に困難だ。

今憑りつかれたように飛び出して財布の中身を募金箱やシングルマザーの家に渡しに行くということは自分には出来ない。また、特定の誰かにだけそうしたところで、貧困は無くならない。では、どうすれば…。貧困の現実に待ったは無い。

これとは似て異なる話だが、毎日新聞ではハイチの児童奴隷(レスタベック)の連載特集「見えない鎖」が掲載されている。西半球最貧国であるハイチは失業率70%近くで、口減らしやお金を得るために子どもを売る。売られた子どもは自由を奪われ労働力として使われる。売られる先は全くの他人である場合もあるが、知人や親類であったりもするが、その扱われ方はいずれも陰惨だ。堪らず逃亡しても実家には帰れずストリートチルドレンとして生きるしか無い。

いずれの記事も読んだ読後感は無力感がとにかく強かった。それしか無かったと言っても良い。今そこにある貧困を直視し認識するとば口は与えて貰えたのだけれど、そこで考えが止まってしまう。せめて考えることはしよう、見なかったことにはするまいと思いつつ、堂々巡りをする。無理をせずに何か出来ることは無いだろうか?その前提が保身を前提とした傲慢なものだと重々分かりつつもそんなことを考える。

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