ネット上の匿名の武器としての運用や距離感の見直しについて

      2014/07/22

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ネット上の匿名については古くからの解釈や確執、議論があります。それらはそれぞれの局面において正しい断片として流通し機能して現在に至っており、今後もまた俎上に載せられ続けるでしょう。そういった位置づけのものですから、自分としてもあまり触れにくいテーマなのですがTwitterで気になるつぶやきを目にして少し考えてみました。


これは必ずしも昨日今日始まった話ではないし、一つ間違えると過去から何度も行われてきた不毛な匿名、顕名対比になったり、必要以上に世相全体との相関性に直結させた解釈に行きかねません。

そもそもネットにおける匿名とは

恐らくこれまた語り始めると色々なプレイヤーが出てきて、てんでばらばらの前提で持論を挙げてしまうのでとても難しいのですが、自分なりの解釈をお伝えしました。

しつこく補足をしますと、現在匿名によって不均等な武器を振り回し、先鋭的になった卑怯者もまた匿名のごく一部に過ぎません。殆どすべての匿名ネットユーザはまっとうな範囲でしか発言ししていません。武器になりうるものを持ったからといって、それを誰でも武器として威嚇や攻撃に使うわけでは無いのです。

どちらかといえば、匿名はオンラインの個人としての言動をオフラインでの活動に紐づけられて制約されることを避けるために使われていることが多いと思います。顕名の人の多くはオンラインとオフラインを紐づけることによって損益バランスとして有形、無形の利益が勝っているのに対し、匿名の人の多くはよくてトントン、大抵の場合は損してしまうのでわざわざ紐づけをしたりしないだけです。(少なくとも自分の場合はそういった理由で顕名化していません。既に20年弱ネットで活動をしており、そこでアウトプットしたあれやこれやをオフラインと繋げてもマイナスはあれプラスには転じないし、どちらも大事だからです)

ですから、匿名であるからといってそれを十把一絡げに「だから匿名は…」に結論付けたりは勘弁して欲しいとも思います。そこへ話を持っていくと有害な匿名ユーザ以外も巻き込む精度の悪い攻撃となり、無闇に話が拡散させられてしまいますし、関係するすべての人がものすごく面白くない時間を過ごすことになります。

なんでも顕名化には断固反対するけれど、匿名を武器にするのは距離感がおかしい

自分自身が匿名を使っていて顕名化に損しか見えないから、個人的には何でも顕名化すべきという乱暴な意見には断固反対です。しかし、その一方で、自分からは一方的に攻撃できるけれど相手からのレスポンスは受け流すために匿名を不均等な武器として使うことは間違えていると思います。

結論じみた書き方をしていますが、これは自分の仮説です。ネットではオフラインで他人に接するのと異なり距離感を狂わせやすいのでは…と思うのです。

例えば、オフラインで道行く見知らぬ人の会話に異論を唱えたり、講演の途中で質疑時間を待たずに壇上に上がって持論を滔々と始める人などまずはいません。(いたとしたら相当変な人です)しかし、ネットの場合全く知らない人が何かを書いたとして、その人に対しアプローチを簡単にかけることが出来てしまいます。それはネット運用の良さでもあり悪さでもありますが、そうはいっても程度というものがある筈です。

匿名を武器にするというのは更に酷いことになります。これをオフラインで無理やり行うとすれば、目出し帽や覆面を被り、体型や性別、年齢など一切の自分への紐づけを無くした状態で、攻撃対象との立場の違いを一切無視し、言いたい放題の罵倒やレッテル張りを行い続け、反論を許容しないということになるわけです。どこをどう見ても距離感が尋常ではありませんし、卑怯以外の何物でもないでしょう。

コミュニケーションは面倒だし怖いものだけれど、双方向であるべき

なんでもかんでもネットにオフラインの流儀を持ち込むのも問題です。もし、そんなことをしたらネットは狭苦しくてつまらないものになってしまいます。

とはいえ、匿名を武器にしてしまう限りコミュニケーションは成り立たず、同じものの考え方を細々と同じ場所でぐるぐる反芻し続け、他の考え方を無視するか叩き潰すだけのごみ溜めとしての機能を強化することになるでしょう。そうなると、今はまだネットにメリットを感じて利用し続けている人も段々その状況に嫌気をさして去っていくようになるような気がします。

否応なく会話、コミュニケーションとはうざったいものです。面倒で合意が成立するかどうかどこにも保証はありません。対等な会話であるならば、馬鹿なことを言えば「バカメ」と言う反応がダイレクトに返ってきたりしますし、あまりにレベルの違う噛み合わない話し掛けであるならはなから相手にされないこともあるでしょう。

ストレスもたまるし、自分の尊厳に関わる傷を負う怖さもあります。それでも、自分なりの観点で物を言えるのは本来自分だけです。引っ掛かりや違和感を感じるような別の観点に遭遇したなら、それを直視し、自分の中に取り込むなり、違いがどこから出てきているのかを突き詰めることで得られるものは大きいでしょう。

この観点からコミュニケーションは双方向に機能するようにしていった方がずっとずっと面白いし、それまで持てなかった観点を増やす機会を得られる可能性が高くなると思います。

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