飽きやすく忘れやすい一般民衆という現実を脱出したい

   

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色々世の中にはお題目があって目まぐるしいほどに現れては消えていきます。流石に東日本大震災くらいの大災害になると3年を経過しても今尚復興には程遠い状況もあり、日々ニュースの冠の一つから外れることは無いけれど、こうやって継続的に扱われるネタというのはレアケースです。

少し前には小保方さんのSTAP細胞騒動、ごく最近では号泣県議ネタや都議会、国会の野次問題などで大騒ぎしたけれど、今になってみるとそれらは片が付いたという程の結末も見ずにどんどん急速に扱われる枠も小さくなり、興味が向けられなくなっています。

他に重要なニュースが次から次に出てくるから仕方がないというのは勿論あります。集団的自衛権内閣決議、ウクライナ情勢悪化の末のマレーシア航空機撃墜、イラクのISIL侵攻、中国拡大政策による各海域衝突、イスラエルのガザ侵攻、内政も国勢状況も凄まじい変化があり、先述のような話は消し飛んでしまいました。

確かに物事には軽重があるけれどそれだけではないのでは?

物事には軽重があります。国政に挙がってくるような話は国民全部に関わりますし、国勢状況は即座に日本に火がつくような話でなくとも最終的に回りまわって日本に繋がってきたときやはり国民全体に影響が及びます。それに比べると国内の諸事は影響範囲の一点で見る限りは、分かりやすくいじりやすいネタにはなるけれど、軽いと言えるでしょう。

先に書いたようにこれは比較の問題で、そうはいっても国民が日々生きていく中で体験する個々人にとっての事件よりは遥かに影響範囲が広いです。だから、第一報の時はデカデカと新聞の一面を埋め、その他に複数詳述解説が続いたりするし、テレビではニュース番組は勿論バラエティでまで扱ったり特別番組を編成したりして四六時中流し続けたりします。

しかし、その割に引くときはあっさり枠が小さくなって「あれ?これまで大騒ぎしていたのは何だったの?」となることが殆どです。

報道側のリソースには限りがあるし様々な取捨選択の判別がある

報道を行うにはリソースが必要です。お金であったり、取材したり報道したりする人材の割り振りや負荷であったり、時間であったり、全てのリソースは有限です。だから、全てのニュースをずっと扱い続けるということは出来ません。その結果、何をどれだけ扱い、何を縮小し、何を捨てるかという取捨選択の判別が常に付きまといます。

実際のところはそれだけでなく、商売になるかどうかという視点も大きいでしょう。報道もまた商売で、多くに求められるニュースを配信することで購読数を得たり、興味を振り向けられる結果として広告収入を得る訳ですから、物事の最後までを追い続けるというのは割に合わない面が多いのではないかと思います。

飽きやすく忘れやすい一般民衆という現実

結局のところ、ニュースが色々と移り変わっていくのは、それを消費する読者や視聴者が興味をどれだけ持って、その情報に価値を感じてお金を払うかどうかに課かっているのでしょう。

その時々で面白そうなニュースには飛びつくものの、世の中の問題は短期間では分かりやすい結論まで至らないものが殆どです。少しづつしか変化しなかったり、進展があったと思ったら差し戻しになったりという展開だと飽きやすい読者や視聴者には面白くありません。

では、暫く大きい変化があるまではあまり扱わず大きな変化があった時だけ扱うのはどうでしょう?おおよそ大抵のメディアはこの方法を採用していますが、少し時間がたつと元々あったニュース自体を忘れてしまい、「これなんだったっけ?」から始まるので結局ニュースの価値が時間によって著しく減衰するのです。

他にも多くの要因があるのでしょうけれど、一番大きいのはこの消費側の飽きやすく忘れやすい一般民衆がニュースをニュースとして扱い続けることが出来ない原因になっているのでしょう。ただただ繰り返しそのときどきを流して過ごすから、ニュース価値の深堀りにも広がりにも繋がらないのです。

インターネットの見出し形式情報消費がますます状況を悪化させる

インターネットはWebサイトを代表として、まずはインデックス、見出しがあってそれを取捨選択して詳細情報をプルするのが基本的な情報提供方法であり、消費のされ方です。Twitterのようなタイムラインによってある程度その欠点はカバー出来るにせよ、それにしても基本は消費者が取得する内容を個々に取捨選択してから、コンテンツを得るという形を取ります。

確かにこの方法は多くの人の異なるリクエストをそれぞれに処理し共有するのに適したものですが、消費者が取捨選択を最初から選択してしまい、その枠外のものは極力目に入らないようにしてしまいます。つまり、パッと見面白そうだったり、元から持っている物の見方を補強する材料を収集するには便利でも、観点が違ったり、自分にとって都合の悪い材料を見なかったことにしたり、攻撃を加えたり出来るような環境が整ってしまっているのです。

結果先に書いた従来のマスコミからの情報流通よりもますます飽きやすく忘れやすい一般民衆という現実を強化し、世の中を危険なまでに単純化し間違った理解を補正する機会をどんどん失うような悪化の一途を辿りやすくしています。

自縄自縛の飽きやすく忘れやすい現実を脱出するには

残念ながらこれという即効薬は無いと思います。しかし、まずこういった現実を認め、それに問題がある、脱出をしたいと思うのであれば最初の一歩として十分だと自分は思います。自分にしてもまだこの程度しか目の前にある消費者としての現実を理解できてはいませんが、もっとましなやり方がきっとあると信じています。

自分の場合は、ネットだけに頼るのは止め、新聞やラジオニュースや情報誌をなどのフロー情報を乱読し気になるひっかかりを記録したり、コメントを残すことを始めました。それがいかに拙いレベルの低いものであっても、自分なりの理解、自分なりの違和感を振り返って見直し、もっと詳しく正しいストック情報を得て繋げられるよう準備をしています。これは面倒でしんどいことですけれど、少しづつでも今まで分からなかったことが分かるようになってくると、飽きず忘れずに続けるモチベーションも得られます。

こう書くと意識高い系かー…って決めつけちゃう人もいるかと思いますけど、全然違います。物事を知りたいと思うことが出来たら儲けものだし、そういった面白いものを自分で面白くする流れを作ることってやるかやらないかだけのことだと思います。

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