昼下がりボーっと思っていたことを覚書。多分他の人の役には立たないけど、暇なら読んでね。 仮の話だが、もし今のあなたが即席麺が存在しない世界に転送されたとしよう。知識は今ある程度にはあるが、文献とか身の回りにあるものは携行出来ない。その世界であなたの立場は食品会社の一社員。それも開発ではなく、営業の末端だとする。 さて、この前提であなたは即席麺市場を確立し、そのトップランナーになることが出来るか?出来る人はごく一握りだがいるだろう。しかし、大抵の人は年間約850億食の市場を現実に今体感していたとしても、それが無い世界で実現は出来ない。それどころか、周囲から馬鹿にされたり、非現実的と諭されたりしていく中で本人も「妄想だったか」と諦めたり、理解の及ばない世界を呪ったり愚痴を言うことで終わる。 世界で何かを実現して成功する人間には、そんな最初から当りが分かっている万馬券など与えられていない。あるとすれば、これならいけるという信念だけ。勿論そんな信念が通じないことは殆どだけれど、諦めなかった人間だけが成功する。諦めない限りは負けはしない。自分で土くれかもしれないものを光ると信じて、最後にそうしてしまう。本当にただの土くれだったとしても結果は変わる。 言葉にするのは簡単だけれど、実行するのがこれほど難しいことは無い。そして、そういう情報を見聞きすればするほど、やる前から諦めてしまう。諦めるとは、一切の可能性を失うことであり、その判断は本人にしか出来ない。諦めさせられたなどというのは、自分を守るための言い訳に過ぎない。そうやって口にすることで自分や他人に「仕方ないよ」と声をかけてもらうための免罪符のようなもの。 わざと大きな話をしてみたけれど、実のところこの話は事業とか大きな話に限ったことじゃない。今直面している小さなあれこれを含めて、人間生きていれば「こうだったらいいのに」と思うことは日々、いや常に思いつく。そして必ずその直後に「でも」と否定するための言い訳を思いついて自粛する。理性的と言えば理性的。でも、そうやって失われていくものは実は損失なのだろう。 諦めずにそれを実現するにはどうすればよいかを考え続ければ何かを思いつくかもしれない。理解者や協力者が得られるかもしれない。どこかで何かを見聞きしたときにひらめいたりするかもしれない。最終的に元々欲しかったものとは違う派生物が出来あがったりすることもあるけれど、実はその方が大成功だったりするかもしれない。あくまで可能性。でも否定してしまったときに可能性がゼロになるのと、可能性を信じて前へ進むとの間には埋められない隔絶がある。 自分はWebは、すべからくツールとしてあるべきものと捉えている。だから、そんなものに夢を見たり妄想をしたりはしない。だけど、ツールとしてその特性を上手く使うと楽しいということは日々体感している。例えば上記したような何かを諦めないようにするための助けに使えたりするんじゃないのとかボンヤリ感じている。今ある実装でそういうツールもあるかもしれないんだけど、そういう性急な話してるんじゃない。上手く表現できないんだけれどね。
いつも書く所感
ちなみに諦めないことを言い訳にするのは、変則的に諦めているのと同義だと思う。口で諦めていないと頻繁に言っていたとしても、そのあるべき姿へ信念を持たないのであれば心の中では誰より諦めている。それはとりもなおさず自分で未来を殺していることに変わりない。 上長が悪い、会社が悪い、政治の構造が悪い、日本は駄目だ…言うのは簡単だし、実際酷いことばかり。だけど、それを口にして非難する前にすることは無いのかな。或いはあったとしてその闘争の経緯を共有してみたらどうだろう。前向きなフィードバックがあるかもしれないし、諦めるよりはマシなことになるかもしれない。前もって言っておくけど保障なんかしないし、出来ない。あくまで可能性を残し可能性を広げるのは自分がすること。外を攻めて期待するだけで何かが変わると思っているなら止めないけれど、それだけで何か変わったことある?この記事をみた人はこんな記事も見ています
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