奇跡とは実現してなんぼ、小さな町に起きたさざ波が幸せを生む姿に涙が出た-「そうだ、葉っぱを売ろう!」

そうだ、葉っぱを売ろう! 過疎の町、どん底からの再生

そうだ、葉っぱを売ろう!-過疎の町、どん底からの再生

正直に言おう。自分はこの本をタイトルだけ見て何の気もなく図書館で手に取った。理由は「何これ?そうだ、京都へ行こう!のキャッチコピーのパクリかよwwww」と一発ネタ本だと思ったからだ。表紙を見てみるとすっごいいい顔で笑うおばあさんの写真…過疎の町、どん底からの再生?抹香臭い内容じゃなきゃいいけれどなあ、そう思って貸出窓口に向かった。

でも、その認識は読み始めてすぐに変わった。この本は、既に実現し、今も続いているある奇跡を記したものだった。気がつけばページを繰る指が進み、ある一節に目を通したとき不覚にも涙が出た。通勤の帰りの電車で椅子に座っていたのだけれど、これはいかんともしがたい。悲しい涙じゃない。役に立つってこと、皆で幸せになるということってこういうことなのか、人間は年齢や環境によらずこういうことが出来るのかと心から実感したからだ。

この本には、20歳で農協に営農指導員として勤めることになった著者横石氏が、どん底にあった過疎の町を再生させた経緯を書いてある。町の名前は上勝町。四国は徳島県勝浦郡にある小さな町だ。徳島市から車で約一時間、標高100-700mの間に大小55の集落が点在、人口は2000人弱、その半分は65歳以上で四国4県中最も人口が少なく、徳島県内24市町村の中で最も高齢化が進んでいる。

横石氏が勤め始めた1979年時点では上勝町は酷い場所だった。高齢化、過疎化という外部環境だけでも後ろ向きになる要素は十分だが、町全体が取り残された打ちひしがれたような暗く沈んだ空気が充満していたそうだ。

上勝に来てからまず一番に驚いたのは、山や畑で働く60代から70代くらいの男衆の何人かが、朝っぱらから一升瓶を提げて農協や役場に集まり、酒を呑んで、くだを巻いていることだった。本当によくきていた。

その人たちは、私を見ては要求の言葉を繰り返す。「お前は、わしらに何をしてくれるんじゃ。」「何の補助金を取ってきてくれるんな。」「どんなことをやってくれるんな。」「そのために、お前らは仕事しとるんやろが。」何かをしてくれることを人に期待するばかり。これではどうしようもないなと思った。それが、そのころの上勝町に充満していた。

この状況で自分だったらどうするか?多分ケツをまくる。いや、絶対にだろう。今の年齢であってもこの状況をどうこう出来るとは思わない。しかし、横石氏はそうはしなかった。最初は改革を訴えたが、遥か年下の青二才の言うことは全く彼らには届かない。ただでさえ、旧弊で昔からのやり方に執着する土地柄である。その反発は激しく町から追い出そうとするくらい拒絶感があったと言う。念のため書いておくが、横石氏は元々上勝町とは縁も所縁もない人だ。生まれも育ちも関係無ければ、親族友人がいた訳でもない。ただ、配属先がそこというだけだ。そこで一生懸命になり踏みとどまったのは、横石氏個人の類まれな気質や生き方によるものだ。帰れと言われて、31年経った今も横石氏は上勝に生き、上勝を今も改革し続けている。

1981年、異常寒波が日本を襲った。気象史上2番目(当時)と言われた苛烈なものでその影響で町の主要産業であったミカンの木が全滅した。どん底の町の生命線が断たれてしまったのだ。

当面は共済などの制度を活用してしのげても、その先は収入をどうやってまかなえばいいのか?経済的なことだけでなく、精神的にも相当なショックを受けて、農家の人たちは落胆し、生きる気力すら失っていったようだった。「一体どうしたらいいんな、次に何を作ったらええんな」

横石氏は違った。むしろこの逆境を救えるのは農協にいるただひとりの営農指導員である自分だけだと燃え上がり、迅速な現金収入を一番に考えて大急ぎで農業振興計画に取り組んだ。ここから先どうなるんだろう、もう絶望しかないような局面で横石氏は様々な取り組みを行う。順風万帆の訳はない。むしろ苦難しかありえないような状況である。誰もそんなことを彼には期待していない。どこかでMBAを取ってきたとか、偉い学者であるとか個人資産を投入してなんとか出来る資産家などでは無い。それどころか無いないづくしだ。何の後ろ盾も無い徒手空拳の青二才、何かを判断して実行するにしたってその判断を裏付ける経験など全くない。

でも、それが何だというのだ。横石氏は批評家では無い。ただただとにかく我武者羅に今彼に出来る最高のことを実現しようと考え、即実行し、その結果の成否を判断し次の行動を起こし続けた。年間4500時間という仕事を何の苦も無く必要だからこなした。後の章で書かれていて自分はひっくり返ってしまったが、彼はその仕事を月給10数万円で行ったうえ、その収入も町の事業を検討するために全て使いこんでしまい、一切家には入れなかった。家計は実家の親(普通の勤めで資産家ではない)に頼り切った。ここまで来ると言葉を選ばずに言うがキチガイ沙汰で余人の及ぶところではないが、横石氏にとってはそれが当たり前だった。

この後、横石氏は紆余曲折を経ていくつもの奇跡を現実にしていく。軟弱軽量野菜の栽培に始まり、表題にある葉っぱのつまものの販売といった生産物の幅を広げ、販路を新規開拓し、マーケティングを行った。企業が行えば、どれだけの工数が必要かと思われるようなことを横石氏はただ一人で行った。そして、その仕事がいかなる無茶苦茶なものであったかを町の人に伝えることなく、ただ町の人には生産に専念してもらっていた。そして経済的な好循環が生まれた。

それだけではない。町の人に生産物がエンドユーザにどう消費されているかを実際に見てもらい、自分たちの仕事がいかに役に立っているかを具体的に知ってもらった。市場で売れたらその結果を即時町の中全体に通知する仕組みを作った。販売価格はもとより、季節ものだけでなく急きょ発生した需要に対応できる体制を作り、なお且つそれに早く手を挙げた順と競争を煽った。売上の町内順位をジャンル毎に作成しリアルタイムに伝達できるようにして、負けず嫌いの町民気質に競争原理を持ち込んだ。

好循環は好循環を生む。死んだどん底の町には町を自虐し、隣近所を非難して愚痴をこぼして酒を呑んで憂さを晴らす人しかいなかった。でも、今はその全く同じ人達が、町に誇りを持ち、仕事に生きがいを感じ、今現在を一生懸命生きている。羨ましいじゃないか。翻って考えてみよう。ネットを見れば今生きている環境の愚痴が溢れかえっている。会社がどうの、親がどうの、配偶者がどうの、子どもがどうの様々あれど自分以外の誰かを非難して愚痴をこぼし、憂さを晴らして過ごしている姿は珍しくない。もっと大きな視点で「日本は駄目だ、終わった」と簡単に口にする。ネタかどうかは問題じゃない。上勝の昔と何の違いも無い。

この本にはそういった自分を見直すヒントが詰まっていると思った。夢物語や妄想じゃない。奇跡っていうのは現実になってなんぼなんだ。年齢だって問題じゃない。横山氏は20歳だった。彼は諦めなかった。一緒に頑張った方々だって65を超え今は80を超えているが、彼らだって横山氏の熱にあかされたことを差し引いても、本人が変わろうとして実際に変わったから今があるのだ。歳を取っているから変わらないし変われない?馬鹿も休み休み言え!そんなこたあ無い。人間は生きている限り変われる。必要なのは変わる意思と実行だけだ。それを持たずに批評しているしか能が無い糞はどこか邪魔にならないところでひっそりしてろ。というか、まだ何もしてないんだから諦めるなよ。

この本の主題で最も美味しい葉っぱビジネス「彩(いろどり)」については是非この本を手にとって自身で読んでほしい。自分はこの本に出会えたことに感謝をしたい。図書館で借りて読み、ついつい借用期間延長を数度繰り返して頭に焼きつくほど読みなおしたけれどこの本は買って自分のものにしようと思う。

最後に自分がつい涙を流したところをかなり長いけれど引用する。

しかし、あれやこれやと工夫したものの、おばあちゃんたちは最初やはりパソコンの操作に四苦八苦して、なかなか使おうとしなかった。「やってみいよぉ」「使うてみいよぉ」優しく促してみても、ダメだった。自分がおカネを出して買ったパソコンならともかく、「株式会社いろどり」から貸し出されたものだったので、もし壊しでもしたら大変だと敬遠されたのだ。
「自分は下手やけん、さわって壊しでもしたらいかん」「スイッチ入れるのも怖い」そういう気持ちが強くて、さわりもしなかった。これはいけないと何度か講習会を開き、丁寧に操作を教えて、大事な情報がこれで見られるんだからと、使うように仕向けていった。
「こういう内容が流れるから、しっかり見いよぉ」「壊れてもええけんな、がんばって、見いよぉ」そうこうするうちに、そんな大事な情報ならやはり見ておかないといけないと、おばあちゃんたちは恐る恐る電源を入れるようになった。
やがては毎日朝と夕方、座敷の一角にテレビのように置いたパソコンの前にちんまり正座して、新聞がわりのように情報を読むようになっていった。

他の人にはどうということない一節だろう。でも、自分には今これを書き写していても涙が溢れてくる箇所だ。情報システム化という言葉は企業で長く口に出され、今となっては一般的なコンシューマにも広くいきわたっている。ネットを見れば、ガジェット好きやネット情報好きが日々かびすましく語っている。それはそれとして正しいことなんだろう。情報技術者や玄人はだしのユーザは情報処理が実際に役立つシーンをすごく限定的に見ていて、情報機器を使えない(使わない)多くの人を馬鹿にしたり、諦めたりしている。自分もそうだ。
でも、本当はそれ姿勢が根本的に間違えている。単に受け入れられないことを他人のせいにしているだけで、もっと広く幸せになる道を自分から放棄しているんじゃないかと…。
本を読み始めるまで横石氏がこんな化け物、もとい傑物だとは夢にも思わなかった。調べてみれば出るわ出るわ、ありえない人物で凡人が真似などしたら火傷じゃ済まないかもしれない。ただ、横石氏がしたことで誰にでも出来ることもある。諦めないことだ。自分が負けて諦めない限りは道はある。それは希望と言うほどはかないものではなく、決して遠くない切り開ける未来だと思う。

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