当たり前を見直すキッカケの一つとして(「おなかがすいたらごはんたべるんだ―韓国の賢者による「短いお話、長い考え」」の感想) - 適宜覚書-Fragments

当たり前を見直すキッカケの一つとして(「おなかがすいたらごはんたべるんだ―韓国の賢者による「短いお話、長い考え」」の感想)

      2017/03/02

当たり前のこと、ありふれたことというのは普段考えない。普段から瑣末なことを考えていたら生活は立ち行かなくなってしまう。だから、生活のルーチンが上手く回っているときには気にせず通り過ごしてしまう。

例えば、成人病の要素はどうということの無い生活習慣が積み重なったものだ。一つ一つを取り上げてみても目に見える悪影響は出ない。暫く経って悪影響が出始め、医者からも指摘を受け漸く「ヤバい!どうしよう」とうろたえることになる。誰だってそんなことは知っている。知ってはいるけど止められない。人生のままならないところは、予測しえない運もある一方で「ああしていればよかったなあ、畜生」という後悔にある。

この本はそういった当たり前を見直すキッカケになる本だ。タイトルからして「馬鹿にしてるの?当たり前じゃん」と誰だって思う。だけど、現実問題おなかがすいてもごはんをたべない人なんて珍しくない。「我慢する」だったり「寝る」だったり「たべる暇があるなら仕事しなきゃ」だったりする。

つまり、当たり前に見えて当たり前ではない。頭で考えるほど目の前の生活やら現実やら状況やらは当たり前から逸脱している。勿論、ごはんなんか食べていられない状況は自分にも容易に想像はつくからそれは否定しない。重要なのは、自分にとっての当たり前とは一体なんなんだろうという疑問を持つことだろう。

この本は韓国企業の社内報に連載された短文を纏めたものだ。相田みつをの作品同様、イラストに詩のような文が付された絵本といった体をなしている。1話の単位は1-2ページ。それぞれに完結しているのでパラパラと適当なところを開いて読んでも良いし、目次から気になる題名に飛んで読んでも良い。

自分が気に入った話を二つ引用しよう。

先のこの本の紹介はこの文を少しいじったようなものだ。無頓着な種まきは仕方が無いのかもしれない。でも、因果は巡ってくる。思い通りにならない種まきもあるのであれば、妙な花が咲いたとしてもその因果がありうるという覚悟だけは持っておかねばなるまい。最初から結果が分かるくらい賢明なら必要な結果に応じた種だけまけば良いが、残念ながら自分はそうではない。

妻とは連れ添ってもうすぐ6年になる。思い返せば背負い背負われよりもひどく、引き釣り引き釣られワヤクチャになってばかりいる。先に進んだのか共に沼に沈んでいるのだか…。それなりに楽しくそれなりに退屈。時々お互いへの思いや生き方を当たり前の日常に埋没させて忘れていることに気付く。

自分は生きることが前に進むだけのものとは思わないが、連れ添うことは大事にしなければいけないと思う。

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