「危険学のすすめ」の感想 - 適宜覚書-Fragments

「危険学のすすめ」の感想

      2017/03/02

危険学のすすめ

危険学のすすめ

本書は、何かの行動を起こした結果としての失敗ではなく、結果に至る前の「現に存在している危険」に焦点を当てた危険学の本だ。著者は、失敗から問題の原因、改善へと結びつける視点の失敗学を提起した畑村氏である。

従前より畑村氏は、失敗学の世間での浸透を喜ぶと同時に、事後的なアプローチである失敗学の限界を感じていたそうである。これが具体化、進捗したのは、副題にあるドアプロジェクトでの検証の過程であった。ドアプロジェクトとは2004年3月26日に六本木ヒルズ森タワーの大型自動回転ドアで発生した男児死亡事故の勝手調査プロジェクトだ。勝手というのは、正式な事故調査委員会の調査とは別個独立で、本件の問題を正しく解明し改善へと結びつける強い意志を持った人達が自発的に取り組んだプロジェクトという意味である。

ところで、大型自動回転ドアは大型のビルくらいにしかない。万俵財閥(華麗なる一族 - Wikipedia)みたいなところにはあるのかもしれないが、それは預かり知らない。言ってみれば、そのビルに通勤するのでもなければ普段近寄ることも目にすることもない非日常的な代物である。だから、この本を読み始めた時「ふーん、そうなんだー」という鵜の目鷹の目の視点が自分にはあった*1

しかし、確かにこの本の頭1/4くらいは端緒となった大型自動回転ドアの話になっているが、プロジェクトはその枠には留まっていない。名前の通りドアというドアの危険性を検証し、その検証プロセスと結果を本書に纏めている。ここで目を疑うような事実が身近にあることを知り愕然とした。

家庭用のドアの検証として、開き戸、引き戸、アルミサッシ引き戸(通常窓に使われている)を紹介した節の部分である。ここまでは大きな扉に頭を挟まれた状況を想定して検証してきた。しかし、家庭用の場合は頭よりも手指の損壊可能性が想定された。この実験ではダミー人形を使えないので食用骨付き手羽先を使い、戸頭や戸尻で複数の状況を作った。

一方、プレハブにあるアルミサッシの引き戸では驚くべき結果が出た。三段階のどの速度の場合も鶏肉の骨は折れ、しかも肉片は三つに引き裂かれたのである。なぜ三つになったかというと、戸先と戸当たりに凹凸があるからである。

アルミサッシの引き戸で行った実験では、低速の場合こそ鶏肉の骨が砕けることはなかったものの驚いたことに、それでも非常にシャープに切断された。これが高速になると、骨は切断されるだけではなく中間部分が完全に粉砕され、骨の形を呈しておらずに骨髄が飛び出して戸受けにへばりついていた。

生々しい。が、これは生々しくなくてはいけない。これがボカされてしまえば、やはり「ふーん、そっか。危険らしいね」と事態にまともに向き合わない。「もし指だったら」「もし首だったら」という心底恐ろしい危険を頭に浮かべないと危険は実感できない。危険を感じとれるように現実を伝えることにどれだけ畑村氏が苦慮しているかが分かる。危険を危険と知ることも知らせることも困難を極めることなのだ。

普通に生活していて、目と鼻の先にあるサッシの引き戸を指の切断装置として見る視点は欠如している。仮に指摘をされたとしても実感も興味も無ければ「何を大袈裟な。こんなところに指を挟んだりする間抜けなことはないよ。挟まったって切れるなんてことはないよ」と決め付けて別の話をしようとするだろう。

畑村氏は言う。「ありえることは必ず起きる」その通りだ。「普通はこんなことしないよ」「こんなの意図的にやらなきゃなるわけない」というようなことが、深刻な事故の引き金になる。技術者とて危険性を感じとったからこそ大型自動回転ドアには、天井、足元にセンサーを付け、事故回避を付加設計した。しかし、それが制御安全の限界である。

設計者が予測していない事態に直面するとたちまち大事故に発展することになる。いついかなるときも致命的な事故を起こさないようにするには、機械に備わっている「殺人マシン」としてのポテンシャルをあらかじめ取り除かなければならない。機械そのものを安全な働きをするものに変えなければ本当の意味での安全は確保できないのである。

勿論、これは理想論だ。

しかし、実例を挙げるならエレベータのドアがこれに近い実装を持つ。シンドラーエレベータの事故があったので道連れに全てのエレベータへの信頼性は地に落ちているかもしれないが、一般的なエレベータは、閉まる途中に何かに衝突すると、ドアは進むのをやめてすぐに開く作りになっている。ドアプロジェクトでその危険性を確かめるのに、この非常停止機能をすべて切ろうとしたが、エレベータ会社の専門スタッフの力を借りても出来なかった。何故なら、駆動回路そのものに機能が組み込まれており、且つ単純な機構なので確実且つ継続的に動作するように出来ていたからだ。

問題の解決は機械の設計に留まらない。

危険についての知見を一般化し、ある場所にある危険を別の場所の危険防止に役立てることができる状態が理想である。求められているのは、うまくいった安全なやり方からのアプローチではなく、危険の側に目を向けてそこから全体の防止策を考えることである。

このようなことができるように文化そのものを変えていくことが、唯一本当の意味で危険を防ぐことにつながるのではないだろうか。

文化として、危険に対することの提唱にはまさしく同感である。外部的な共有知として纏めるに留まらず、いかにそれを頭に植え付け行動に反映させるか、が課題と思う。

参考情報

本書巻末の参照情報として「NHKスペシャル|「安全の死角 ~検証・回転ドア事故~」」と「ETV特集 4月30日(土)ドアに潜む危険があった。是非見てみたいと思ったが、どうすれば見られるのか分からなかった。NHKアーカイブスにはNHKスペシャルも部分公開されているが残念ながら、これは対象となっていなかった。まあ、NHKアーカイブの対象であったとしても、ネットで見られる訳ではないしあまり期待はしていなかったが…。他の経路を当たってみよう。

失敗体験施設DBというのは、実際に体験を持って現実を知るために良い情報だ。

失敗学会は個人会員年会費10000円。月にして833円。入ってみようかな。週間漫画雑誌3-4冊分と考えれば、こっちの方がよっぽど価値がある。

畑村氏への苦言

この場で畑村氏に苦言を申し上げる。氏の旺盛は活動によってある程度失敗学、危険学への一定の興味は喚起に成功していると思う。しかし、会社を背負わない一般の個人として対した時、書籍以外の情報摂取は敷居が高い。例えば、鶏肉を買ってきて自宅で検証をするのは不可能ではないが、家人の理解を得るのは困難だ。上記の映像媒体は非常に効果的で且つ再現性が高いが、放送時点で見逃せば簡単には入手できない。文化としての危険学、失敗学を定着させるには妥当な接点が必要だが、シンポジウムやイベント、固定のプロジェクトはその用を全くなさない。

例えば、YouTubeに放送を公開するといった働きかけは出来ないだろうか?ベネッセの「子どものための危険学」サイトも会員限定ではなく広く公開して欲しい。危険への対応というのは氏が仰るように文化として持たねば機能しない。従って、特定企業、特定団体が営利を目的として公開を限定すべきではない。経費の回収が必要なら、広告でも可能だろう。或いは、真に公的に貢献したという意味でより広く大きく評価を得ることのリターンを考慮頂きたい。

現状は厳しく言えば、言動不一致である。勝手プロジェクトの背景にはある程度の企業の下心があって当然だ。問題はその程度をどこで線引きするか?狭間にあって重々問題を承知のこととは思う。しがらみを知らぬ勝手な物言いである。しかし、これを実現出来る位置にいるのは氏をおいて他は無い。

2007/3/23追記

自分も誤解しそうなため補足しておこう。

失敗学について、「失敗を防ぐための学問ですか?」と訊かれることがよくあります。僕はそんなことを言ったことは一度もありません。「人は誰でも間違える」と言っているだけで、「間違いをしないようにしましょう」などとは一回も言ったことはないんですよ。失敗は誰でも犯してしまうということをまず認めた上で、人はどんなふうに考えて行動していくかを確かめていく。そして全体として致命的な失敗を起こさないようにするためには、どんな方向で物事を考えていったらいいのか、どういうシステムを考えていくべきなのか、ということを僕は研究しているのです。

当たり前のことを書いているようでそうではない。日本人の若者に顕著だがリスク0という幻想が呪いのようについて回る。「失敗は嫌だ。避けなければいけない。全部成功でなければ」強迫観念のようなものがある。

そうではないのだ。失敗には種類がある。確かに失敗すれば死んでしまうとか取り返しの付かない失敗と言うものはある。これは是が非でも回避しなければいけない。

一方で取り返しがつく失敗というものがある。恥をかくとか直る程度の怪我をするとか痛かっただけだとか…。そういうものはむしろ懲りるまで経験しなければいけない。

痛い思いを何度もしながらも取り返しの付かない失敗をしないというのと、普段痛い思いをしないで一発取り返しの付かないことになってGameOverとどちらが良いかと言えば前者だ。しかし、「良い子でいなければ」と思いつづけたりしていると器用貧乏な能無しが出来上がる。

むしろ失敗は必然とみなすくらい出来ないと駄目だ。論理的に起こり得るものは全ていずれ起こるのであり、それをいかに受け止めるかが大事なのだ。過小評価して無いことにしたり、過大評価して杞憂になったりするのはどちらにせよ危険だ。

*1:勿論、事故については痛ましいと思うし、子を持つ親としては他人事ではない

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