知る権利に貢献出来ないマスコミの現状 - 適宜覚書-Fragments

知る権利に貢献出来ないマスコミの現状

   

歌田明弘の『地球村の事件簿』: 感情的な報道が行なわれる理由を読んで思ったことだが、ライブドアの話に限らず日本のマスコミは視聴者の知りたいことを知らせてくれないように思う。

最初にニュース、スクープとなったものは暫く追いかける。でも、旬の期間というのは短くて1週間、長くて2ヶ月というところになる。それがどんな大事件であったとしても寿命はその程度だ。そしてその事件の顛末がどうあろうとその後はおざなりにしか報じられない。例えばライブドア報道の前は、自民党が民主党から突き上げされるネタとして4点セットという問題があった。その一つ一つが疑惑を含んでいて大問題(或いはそれになりうるもの)だったにも関わらず今はあまり報道されない。永田議員の「送金指示メール」問題で攻守逆転されたような印象もある。そんなことは馬鹿げている。それはそれ、これはこれだ。

これに限ったことではない。視聴者がいくらそれを知りたいと望んだとしても、知る権利はマスコミによって任意に選択されて行使されている。マスコミが知らせない、マスコミが捨てただろう多くの真実(または、その手掛かり)は、誰にも知られずに消えていき、無かったことになる。ニュースというのは言葉通り新しい情報を追いかけるものだとしても、新しくなくなっても未解決な話があるのであればそれなりの枠を取って追い掛け報道すべきだろう。

もしかすると視聴者も知りたくない?

もしかすると視聴者も知りたくない…という仮説も成り立つだろうか?BlogにしてもSBMにしろ取り上げる内容に流行というものがある。流行している時に議論に加わるのであれば良いけれど、旬が過ぎてから取り上げてもあまり目が通されない。上手くHUBとなるところに好感をもって取り上げられれば再燃する場合もあるが、「今頃そんなこと言ってるの?遅れてる」と言われれば大勢としてそういう評価で止まってしまう。

マスコミの報道はその時だけの一過性で一方向のものだけど、Webならアーカイブされて共有されるから情報の見直し、再現性は高い。でも、アーカイブされて無尽蔵に思われるようなものから情報を拾い出すのは簡単ではない。GoogleによってWebリソースのインデックス化が急速に進み、多くのWeb2.0的なソリューションが脇を固めていけば今よりはずっとマシになるかもしれない。でも、情報の消費のされ方、提供のされ方の両方が変わらないと状況が劇的に変わることは無いと思う。

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