不安の話 - 適宜覚書-Fragments

不安の話

   

えっと。これは俺の不安の開示の話じゃない。漠然としたお話。

世の中の人ってのは多かれ少なかれ常に不安を持っている。年齢にもあまり関係ない。逆に言えば恒常的に安心出来るということは無い。不安という奴は面白い特徴がある。不安というのは漠然としているのだ。いや、目の前のところはある特定の問題としてある場合はある。しかし、不安は悪化すると芋蔓式に広がり散漫になる。これは論理的な人ほど顕著に展開させてしまう。論理的だから悩みが無くなるのではなく、わざわざ不安を論理的に大量に体系化し然る後その重圧に潰れるという悲惨な末路を辿る。

何でそんな話をしたか?最近娘がグズるのだ。これがまた論理のかけらもない無茶苦茶に散逸した要求を矢継ぎ早に出す。「抱っこ」「さんぽ」「ねんね」「テレビ」「じゅーす」「ごはん」「涙」「ティッシュ」一部矛盾しているし、同時に即時叶えられる要望ではない。妻はこの非論理的な要求にかなり参っているようで耐えられなくなると泣いてしまう。一種のバッファオーバフローだ。無茶な要求を頭にバッファ出来ない状態にされて判断が飛んでしまう。俺が娘の要求はてけとーに聞き流してただただ抱っこして背中をポンポン叩いたりしていた。実際それで何とかなってしまう。恐らくだが娘自身も最終的な自分の要求を出せない混乱した状況にあって、ただただ不安、それに呼び出された怒りとか悲しみに任せていたのだろう。

上手い言い方ではないが、ガス抜きは必要。それと今不安を抱えているなら、意識が向いている不安が本当に不安を感じる必要があるのか…とか疑ったほうが良い。視野狭窄は下手な操り方をすれば自滅は必至だ。俺はC調でだらしが無いとよく家族からも知人からも怒られるが、そのてけとーさでバランス取れてる部分も結構あるんだよ…と思う。

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