反応を示すということ - 適宜覚書-Fragments

反応を示すということ

   

あー。何だか後から後からこういうのが頭に沸いてくる。脳が沸いているのかな。でも、いつか書こうと思っていたことだしなあ。前に教育で行ったセミナの講師と時間外に話をすることがあった。

講師
「受講生の反応ってとっても気になりますよ。勿論、自分の評価が給料とか処遇に跳ね返ってくるというのもあるけど、それだけじゃないです。例えば質問が授業中に来るようなのはやっぱり嬉しいですね。」
「授業の流れとかタイムマネジメントがあるから、あんまり脱線するのはまずくないですかねえ?」
講師
「いや、それくらいの時間調整くらい出来ないとプロじゃないでしょう。自分は海外でも講師結構長くやってましたけど、向こうの連中は凄いですよ。疑問とか興味を持ったら講師そっちのけで受講生同士でディスカッション始めちゃう。そこまで行くとオイオイ…と思うけど日本の受講生は黙々と聞くばかりでどこまで理解したか掴めないので、むしろその方が説明するのが難しいですね。内容が簡単すぎて聞いていられないのか、難しすぎてついていけないのかも分からない。」
「ふむ。そんなもんですかねえ?」
講師
「そんなもんです。講師だろうと、カンファレンスの発表者だろうと、向かい合った相手に伝えたいことを伝わるのは嬉しいです。まして、こちらで想定していなかった点を質問してくれたらその内容の難易度とかはどうでもよくて刺激を受けるんです。」

この前のNTCommittee2勉強会を聴講した際、この話を思い出した。mattunさんにしろはまもとさんにしろ、受け手の反応にも後押しされてテンションを上げた。勉強会はセミナーと違って一方的な教えの場ではないとよく説明されるが、講師1に対し聴く方は80人とかになるとやっぱり話し手と聞き手という一方向の流れになるのは致し方ない。しかし、諦めてはいけない。せっかく場に参加したならば、何かしら一言発したところでバチは当たらない。失笑されてナンボだ。

全く違う話に繋げるが、事は勉強会やセミナといった非日常の公の場に限ったことではない。日常的な話、家族と話をしているかというようなことも同じだ。食卓に朝ご飯、夕ご飯がごく普通に並ぶ。「いただきます」と「ごちそうさま」以外何も言わずかっこんでたりすると、作り手にとってはツマラナイ。いきなり諸手を挙げて白々しく賞賛したりすれば何かあったんじゃないかといぶかしまられるだろうが、気が付いた時に労をねぎらったり、話を繋げるということが大事だと思う。

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