ネタをネタと分からん奴はというフレーズ - 適宜覚書-Fragments

ネタをネタと分からん奴はというフレーズ

      2017/03/02

んー。id:bmpさん、id:jounoさん、id:yms-zunさん、id:otsuneさんと俺が大好きな書き手の人が揉めている。悲しいなあ。ザザッと斜め読みした限り、行き違いの領域で皆先を急いでしまって嫌な感じになっている。多分ね、この四人はお互いに煽ってなんかいない。まあ、これから煽り屋が襲来してバンバン炊きつけるような展開を予想されるくらいには煙が上がってしまっているけどね。もう少し話を戻してみたらどうかな?

ネタという言葉による差別化、つまりネタを解し許容する人と許容しないで確認や議論を行う人の峻別効果というのは気になる。俺は比較的確認行為や議論のふっかけに入る方だ。

確認行為や議論のふっかけというのはハマるべきところを想定し実際に検証し実際にハメこんでいく行為だ。従って、主体となるのは検証し再現していく側にある(ネタ元や周囲がノってくるならそれらをも含むが)。

しかし、ネタはそうではない。ネタはあるべき反応を想定または強制するもので主体はネタふり側にあるとネタふり主は考えている。歓迎される想定外はネタの増強だが、それは稀なことで主たる反応はネタに合致する範囲で発生するべきだ。しかし、ネタふりが雑であったりするとネタかどうかすら分かりにくくなる。そこで確認行為や議論のふっかけが入ると著しく醒める。何故なら、確認行為や議論のふっかけはネタの解剖であり、ネタふり主にとって自明の話を事細かに論理のまな板に乗せるわけで苦痛を伴う。

悪いのはどちらか…という二元的な捉え方ではこの違いは正しく評価出来ない。ただインターネット上の常套句となった「ネタをネタと分からん奴は…」「ネタにマジレス…」は確認行為や議論のふっかけ側が自省として使うなら良いが、周辺の人間やネタふり主が使ってしまうと単に煽り文句にしかならない。

とはいえ、簡単な話じゃあ無いね。俺だって言葉が必要十分かどうかと言えば自信は無い。単に相手を言い負かすとか朽木倒しするとか空爆するとかのクソテクニックはこの10年で何故か身に付いたが、そんな無駄なことしたって憂さ晴らしにしかならん。かといって、さもわかったような顔してコミュニティで馴れ合うのは性に合わない。俺は俺だ。俺を堅持しつつも上手く付き合うということが今の俺のやり方だ。(俺々自己中心コミュニケーションとは違うよ)

煽り屋

お前のことやんけー!!の突っ込み入りそうだ。兼任だったらそうかもしれんけど、世の中にはそれしかしない専任の人もいるからね。全くしない人と比べれば十分黒とは自覚している。何分気が散りやすいので、巡回先やRSSの斜め読み以外は極力調べ物に徹しているつもりなんだけど集中力に欠けるんだな。

今回はよりによってお気に入り巡回先100%で構成されている話だし…。

適宜覚書-Fragmentsは、筆者が興味をもった様々な情報やネタを筆者が忘れても後で思い出せるよう覚書として公開するBlogです。Google Chrome拡張、Facebook、Google、Twitter、Windows、各種Webアプリなどを扱うことが多いです。この覚書が、もし何かお役立ちになれば幸いです。

 - 覚書 ,