読まないということ - 適宜覚書-Fragments

読まないということ

   

最近、いくら見ても同じような話しかしない匿名のとこや、興味の無い絵描きのサイトは目を通していない。なかなかこの習慣が付けられなくて無駄に「この糞馬鹿が」とムカついたものだが、一旦習慣が付くと本当に行かない。

思うに読まないということもまた技術なのだ。読んだ上で判断するというのは確かに公正で判断を厳密にする訳だが、そこまでする義理は無い。過去の累積から考えて面白い内容が書かれていることが殆ど無いなら切捨てた方が時間も他に使うことが出来る。次はある程度早い時期で見切る技術を覚える必要がある。

自分の意見を忠実に絞り込むのには雑音を自分で拾いこむ必要は無い。建設的に話を伝えたいなら相応の積極的な手段を選ぶべきであるし、そのリスクを負うなら耳を傾けても無駄になる率は低いだろう。自分で摂取するのであれば、取捨選択が大事であり、何でも拾って食うなんて浅ましいことをしないでも集まるべきものは集まる。流れがあるからと言って乗るだけってのは自分で選択を放棄するのに等しい。

世の中には強い人がいて、一日数万の糞閲覧者がいて数百の糞コメントを付けてもただの統計数値として上手く使っているようだ。とてもそのまま真似は出来たものではないが、いちいち真に受けず上手く血肉にすることを少しでも身に着ける参考にはなろう。

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