精神主義 - 適宜覚書-Fragments

精神主義

   

日本人の伝統で何故か守られていることがある。

  • やせ我慢
  • 精神主義

美徳扱いされるし、無条件に良いこと扱いされるけど、これは悪質だ。何でもかんでも金に換算するのはみっともないことなのは認める。でも、ただで出来ることってのは限定されるんだ。時間とか金とか枠取りの中で妥当なところを切り取るのが経済の単位のあり方であって、何も払わないで最大利益なんて虫のいい話は無い。

重病人とか困っている人を前に何とかしてあげたい…と思うのは良いことだ。でも、それだからって赤の他人の人生までは背負えないだろう。どこかで線を引くしかない。日本みたいに平和でそれなりに手元に金があるところだからまだそう言っていられるのであって、そうじゃないところへ行ったら重病人や困っている人は踏みつけられるためにいるような扱いを当然のように受ける。別にそれは極論でもなんでもない。

世の中には沢山不幸や不幸の種があって、偶然それを踏みつけないだけで半径1.5mくらいの平和や幸せが死ぬまで維持出来るといいなと漠然と感じて何もしないのが現代の日本人の多くの立ち位置だ。ある日、頭がおかしい15歳未満が家族皆殺しにしたって誰も助けてくれはしないし、ろくなFollowもない。

建前はいい。おためごかしは何とでも言える。頭の中のあるべき姿は実現させるパスが確実になっていなければ妄想に過ぎない。だからこそ、今あるものをどう守るかは自分が考え、自分の枠で何とかして、周りの既存の仕組みをいかに使うかしかないし、諦めたって何にもなりゃしない。

俺は諦めるのも精神主義ややせ我慢でいい加減なことを言って出来ないと恨みごとを抜かすのも嫌だな。それこそ格好悪いし、いい迷惑だ。

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