家の鍵 - 適宜覚書-Fragments

家の鍵

   

前にもどこかで書いたような気がするが、妻方の実家は戸締りの観念が薄い。家に人がいれば玄関の鍵開けっ放しだ。下手するとちょっとした外出程度でも鍵をかけない。これは俺の常識に照らし合わせると無防備且つ非常識だ。イマドキちょっとおかしいガイキチの15歳がハンマーやら柳刃包丁やら持って大量殺人を夢見て駆け込んできたって別におかしくない。ガイキチのモティベーションがどこに置かれてるなんか知りたくもなければ知りようも無いが、その手のどうしようもない話は日々報道されている。そこまでいかなくたって、外国人窃盗団はちょっとキッカケがあれば強盗や殺人犯に簡単に変わるような気がする。

それを義母に伝えると「そうだねえ」と受け答えするもののやはり鍵はかけない。周囲は昔馴染みばかりだし、そうそうおかしい奴が出てくる訳が無いとタカを括っているのだろう。そりゃ俺だって石を投げれば当たるほどに、危険人物が徘徊しているとは思わないが、少しでも難を避けるようにした方が良いのではと思っている。

何でこんな話をしたかと言うと、モノの例えで「家に鍵をかけなければそりゃ進入される理由を作っているんだし過失責任は問われるね」って論調を目にしたからだ。俺もその論調に同意するんだが、果たしてその同意がどれだけの正当性を持つのか、或いは意味があるのかは俺には自信を持って答えられない。昔ながら近所が共同体として有用に機能していた頃を生きてきた人と俺は違う。単に時代背景の違いを認知しているか否かの違いであると切り捨てるのは俺には難しい。情緒的な話と思われるかもしれないが、俺が思うに世の中の切り分けはそう綺麗に論理に沿っている訳ではないし、時に論理的であるが故に強く排除される場合がある。だから、俺は論理に偏重する人にも情緒に偏重する人にも寄り沿わないし寄り添えないのだろう。

ある意味

現状危険人物がまだ寄ってこないハニーポットである。やっぱ鍵かけてくんねーかな。安心できない。直の親なら叱り付けて大喧嘩しても言うことをきかせるけど、遠慮があってそこまでは出来ないし…。んー

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